12月15日に行われた上智史学会大会、午後の公開シンポジウムのテーマは「『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は なぜ注目されるのか?」でした。
まず、小野寺拓也先生(東京外国語大学)は「パブリック・ヒストリーと歴史学はどこで折り合えるのか?―〈解釈〉が投げかけるもの―」というテーマで講演されました。切り取られたものであり、立場性や主体性が大きく影響する歴史を扱う歴史学という分野における解釈の重要性を確認し、著書に寄せられた批判からポストトゥルース状況や性善説に立った議論の限界、日本における「納得信仰」など、現在の歴史学・歴史実践が直面している課題に触れつつ、近年賑わいを見せるパブリック・ヒストリーと歴史実践との折り合いのつけ方について検討していきました。自分のなかだけで考えることの危うさというパブリック・ヒストリーの脆弱点を指摘しつつ、専門家との対話を通して専門家とそうでない人とをつなぐ、歴史学の新しい可能性を示されました。個人的に興味深く感じたのは、パブリック・ヒストリーはただ歴史学のためだけではなく「他者のために、他者と共に」という視点があるというところでした。歴史学が歴史家の間だけで自己完結するものでなく、歴史を専門としない所謂「普通の人々」に対しても開かれたものになる明るい可能性を感じた一方、彼らの知恵や判断をどこまで頼りにするか、また研究において専門家とそうでない人々のパワーバランスの調整等、一筋縄ではいかない問題についても考えさせられました。

小野寺拓也先生
続いて、田野大輔先生(甲南大学)が「ナチスの『相対化』にどう向き合うべきか?―『田野調査(フィールドワーク)』が明らかにしたこと―」というテーマで講演されました。著書刊行後、自身のTwitter(現X)に寄せられた多数の批判に対する応答を「田野調査」と称し、調査の結果見えてきたナチスは「良いこともした」論者の主張パターンについて報告されました。多くの場合、著書を読まずにタイトルだけ見て寄せられてくるという批判の例として、ナチ=「絶対悪」との決めつけである、「悪」との決めつけは危険である、などといった声を取り上げ、こういった批判の根底にあるのは公式の歴史観に対する反発や、周りは思考停止しているが自分は違うのだという自己認識にあると話されました。田野先生のTwitterをよく拝見していたのですが、反対論者に対しての先生の丁寧な返答の意図を知ることができたとともに、定説とされる解釈に反発を覚える層にどのように歴史解釈を伝えていくべきかという課題の難しさを実感しました。
田野大輔先生
そして、お二人のご報告ののち、北條勝貴先生(上智大学)からコメントをいただきました。パブリック・ヒストリーの実践と歴史実践との結びつけ方、その相互作用など、気興味深くうかがうことができました。

北條勝貴先生
最後に、参加者からの質問にお答えいただく形で3人の先生方の討論が行われました。シンポジウムの参加者には本学の史学科生も多く、歴史学を学んでいる学生の視点からの質問があったり、パブリック・ヒストリーの現状や課題点について踏み込んだ質問もあったりするなかで、様々な観点から先生方のお話を伺うことができました。

質疑応答の様子(右端はコーディネーターの森田直子先生)
このシンポジウムを通して、『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』の著者お二人が著書への反響から実感されたことやそこから見える現代歴史学の課題や今後の展望を伺い、それらについて検討することができました。参加できたことを大変うれしく思います。
廣田優希(上智大学大学院史学専攻修士課程)