3日目(3月10日)
2年(中澤プレゼミ) M・K
3日目は、連日の疲労が蓄積された2日目の様子から、少し遅い出発になりました。宿の最寄駅から犬山城に向かいます。近づいていくと車窓から、木曽川を見おろす小高い丘に築かれた犬山城が確認できました。
駅から徒歩で犬山城に向かう途中、有楽苑に寄ることになりました。織田信長の実弟の一人である有楽斎が建てた、国宝茶席三名席の一つに数えられる茶室如庵があります。古暦を腰貼りにした暦貼りや、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙り口など独創的な工夫が随所に凝らされています。茶の湯の創世期の遺構が綺麗に残されていました。

3日目 犬山の国宝如庵にて
いよいよ犬山城に到着です。
犬山城は事前学習で金山城から移築されたとする「金山越」という説を学んでいたため、その痕跡が確認できるかが見学の焦点となりました。『尾州古城志』などの近世の編纂物にみられる金山越は、美濃金山城主となった森忠政が、1600年に信濃川中島へ転封となったことで、金山城が犬山城主の石河光吉に引き取られ、再利用されて現在の犬山城となったという説で、年輪年代法の調査によって天守の木材の伐採年代が1585年から1588年と判明したことも含め、真実味を帯びてきています。実際に犬山城天守を見てみると、そこかしこに木組みが外された跡や、逆に木組みによって一本柱として整形された木材の使用が見受けられました。材木の再利用が行われたということです。犬山城が、現存最古の天守建築の遺構というステータスを手放してしまうのか、犬山城天守はもともと金山城の建物だったのか? 歴史のロマンを感じますね!
ちょうどお昼に差し掛かっていたので、城下町で昼食をとることになりました。名物の味噌煮込みきしめんや鮎のおじやといったメニューが並び、(猫舌の人は苦労するメニューですが)郷土食の豊かさと長く人々に親しまれてきた由緒を感じることができました。
次は小牧山城跡に向かいます。山上の発掘調査で発見された信長期の石垣が最大の見どころです。信長の城に石垣が積まれたのは安土城からだとする定説を覆す、小牧山城でも積んでいたという史実が明らかになりました。残念ながら見学に訪れた際、信長期の石垣は大部分が復元工事のためのブルーシートで隠されていましたが、その規模や露出した石の様相は窺い知ることができました。また、史跡情報館である「れきしるこまき」でさまざまな情報を得ることができました。特にCGや映像を用いた展示は豪華に作られていて、なかなか見られない発掘調査の最前線を垣間見ているようでした。小牧山城跡は、復元された石垣や土塁などの整備が行き届き、情報館の展示を含め、管理保存が計画的になされている遺構という印象でした。