| 物理量の認識論的解釈 |
| 杉尾 一(本学哲学科助教) |
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上智大学哲学会第91回大会シンポジウム 諸問題の系譜―開催の趣旨 |
| 荻野 弘之(本学哲学科教授) |
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ペリクレスの弁論とプラトン『ゴルギアス』 |
| 宮崎 文典(埼玉大学教育学部准教授・本学元非常勤講師) |
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弁論術的弁証術 ―ルネサンスにおける弁論術と弁証術の統合とその歴史的位置づけ |
| 桑原 俊介(本学哲学科助教) |
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説得術としてのレトリックの意義について ―アリストテレスからペレルマンへ― |
| 持地 秀紀(本学大学院博士後期課程) |
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尊厳の概念と多義性について ―尊厳の伝統的概念と現代的概念の統合の試み― |
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中村 信隆(本学哲学科非常勤講師他) |
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ドゥルーズ『感覚の論理学』における「器官なき身体」 「感覚」との関連で |
| 内藤 慧(東京大学大学院博士課程) |
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歴史の哲学と歴史性 ―ハイデガーはヨルクから何を読み取ったか― |
| 荻野 陽太(本学大学院博士前期課程) |
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カントを含むドイツ観念論の知的遺産 ―その今日的再考 |
| 山脇 直司(星槎大学学長・東京大学名誉教授) |
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第89回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム 哲学と教育 |
| 寺田 俊郎(本学哲学科教授) |
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卒業後にも「日曜哲学者」であり続けて欲しいから |
| 山田 与史明(日本大学高等学校・中学校教諭) |
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哲学と教育を問い直す ―「哲学対話」の実践と実存の観点から |
| 古賀 裕也(かえつ有明中・高等学校教諭) |
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社会人の「学び」における哲学の役割とはなにか? ―自由大学での社会人教育の実践報告から考える |
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田代 伶奈(自由大学キュレーター) 今井 祐里(自由大学キュレーター) |
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「眼鏡」によって神を観るということ ―クザーヌスDe berylloにおける〈反対対立の一致〉― |
| 川﨑 えり(本学大学院博士後期課程) |
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第87回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム 現象学的思惟の歴史的〈現況〉と〈行方〉 ―フッサールから現代フランス現象学への展開に鑑みて― |
| 長町 裕司(本学哲学科教授) |
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感覚の強度(II) ―エーデルマンの原意識と神経現象学の方向性― |
| 山口 一郎(東洋大学名誉教授) |
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現象と生命 ―「開け」への媒体から証人へ |
| 斎藤 慶典(慶應義塾大学教授) |
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構想力と無限 ―フランス語圏の現象学におけるカント哲学の現象学的再構築 |
| 長坂 真澄(群馬県立女子大学准教授) |
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第87回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム 提題者への特定質問 |
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大山 匠(本学大学院博士前期課程修了) 瀧 将之(本学哲学科非常勤講師他) 石田 寛子(本学大学院博士後期課程) |
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ニーチェの「文化」論 ―「鋤の刃」という言葉を手がかりとして― |
| 加藤 之敬(本学大学院博士後期課程) |
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内面化される運命 ―ヘーゲル『精神現象学』における悲劇と喜劇― |
| 岩田 健佑(一橋大学大学院博士後期課程) |
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ヒューム哲学の成立についての一考察: ヒュームとバトラー |
| 矢嶋 直規(国際基督教大学教授) |
| 田中裕教授業績目録 |
| 田中裕先生を送る |
| 荻野 弘之(本学哲学科教授) |
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場所と神「絶対無」の宗教哲学のため ―「絶対無」の宗教哲学のため |
| 田中 裕(本学哲学科名誉教授) |
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西田哲学における人格の問題 ―悪と当為を手引きに |
| 白井 雅人(東洋大学井上円了研究センター客員研究員) |
| 「永遠の今」と死の自覚 |
| 石井 砂母亜(跡見学園教諭) |
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若きショーペンハウアーにおける「思慮」概念の形成 ―「よりよき意識」から「意志の否定」へ― |
| 堤田 泰成(本学大学院博士後期課程) |
| アリストテレス『カテゴリー論』における述定とヒュポケイメノン |
| 桑原 司(本学大学院博士後期課程) |
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コギトの哲学史的解釈のための語彙論的調査および予備的考察 ―デカルト「第二省察」における< |
| 田村 歩(筑波大学大学院一貫制博士課程) |
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歴史の動きに関する基礎的研 ―後期西田哲学を手がかりとして― |
| 岡田 基生(本学大学院博士前期課程) |
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哲学的対話の実践 ―簡潔な解説寺田俊郎 |
| 寺田 俊郎(本学哲学科教授) |
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主体的に学ぶことは教えられるか? ―「哲学対話」の実践を通して考える― |
| 古賀 裕也(お茶の水女子大学付属高等学校非常勤講師) |
| 哲学的対話における自由への気づかいと対話の構え |
| 永井 玲衣(本学大学院博士後期課程・立教大学文学部リサーチアシスタント) |
| 対話を用いた哲学教育のための一理論としてのJ.デューイの哲学 |
| 堀越 耀介(本学グローバル・コンサーン研究所臨時職員) |
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ライプニッツの発見の論理 ――「生きた図書館」の知の技法 |
| 佐々木 能章(東京女子大学教授) |
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上智大学哲学会第83回大会 シンポジウム 「現代思想の源流としてのドイツ哲学」 |
| 大橋 容一郎(本学哲学科教授) |
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心理主義から論理主義へ ――ヘルムホルツ、ランゲ、コーヘン―― |
| 辻 麻衣子(本学大学院文学研究科特別研究員) |
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カッシーラーの関係概念 ――ハイデガーによる批判とカルナップの哲学からの新カント派の再検討―― |
| 庄子 綾(本学大学院博士後期課程) |
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歴史科学(歴史学)の方法論 ――ジンメル・西南学派・ハイデッガー―― |
| 渡辺 和典(学習院大学、帝京大学、青山学院大学、他非常勤講師) |
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「趣味の主観主義」を拡張する ――『判断力批判』における「認識一般」を導き糸に―― |
| 高木 駿(一橋大学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員) |
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上智大学哲学会第81回大会 シンポジウム 「ニーチェ―世紀末の思想家は何を表現したかったのか―」 |
| 大橋 容一郎(本学哲学科教授) |
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十九世紀末の形而上学批判と新たな価値理想の探求 ―ニーチェの権力への意志説を中心に― |
| 梅田 孝太(本学研究機構特別研究員) |
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無からの創造と時間 ―トマス・アクィナス『世界の永遠性について』を中心に― |
| 芝元 航平(本学哲学科非常勤講師) |
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卑屈であるとはどういうことか ―カント「徳論」の議論を手掛かりとして― |
| 中村 信隆(本学大学院博士後期課程) |
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生理学と美の形而上学を繋ぐもの ―ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』続編における天才の思慮について― |
| 堤田 泰成(本学大学院博士前期課程修了) |
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<神>の語りの思索 ―J-L・マリオンにおける<神>の現象学を巡って― |
| 石田 寛子(本学大学院博士後期課程) |
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「上智大学哲学科100周年に寄せて」 (哲学科創設100周年記念シンポジウム「哲学科で学んだこと―回顧と展望」より) |
| 大橋 容一郎(本学哲学科教授) |
| 森一弘(カトリック司教、(財)真生会館理事長) |
| 渡部 久仁子(旧姓・細野 主婦) |
| 峯岸 正典(曹洞宗 長楽寺住職) |
| 久美沙織(本名・波多野稲子 小説家) |
| 塩川千夏(成蹊中学・高等学校教諭) |
| 武重有紀子(医療法人社団哺育会 横浜相原病院 臨床心理士) |
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舞踊におけるダイナミズム ―動感、あるいは、運動感覚と呼ばれるものについて― |
| 柿沼 美穂(東京工芸大学 非常勤講師) |
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経験心理学から超越論哲学へ? ―1780年前後の「構想力」概念― |
| 辻 麻衣子(本学哲学科RA) |
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ニーチェの「真理への衝動」の発生史 ―忘却概念を手掛かりとして― |
| 加藤 之敬(本学大学院博士後期課程) |
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〈語りと沈黙―今日、宗教思想の行方―〉に寄せて |
| 長町 裕司(本学哲学科教授) |
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宗教経験における語りと沈黙 ―西田哲学における無の思索― |
| 田中 裕(本学哲学科教授) |
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映し込まれた永遠 ―「魂の根底」と「始原」をめぐるエックハルトの場所論― |
| 田島 照久(早稲田大学教授) |
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神名の沈黙と語ること ―「動き」の現象学― |
| 永井 晋(東洋大学教授) |
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アルベルトゥス・マグナスの能動知性論 ―『人間論』に即して― |
| 小林 剛(明治学院大学非常勤講師) |
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幾何学的認識と経験的認識 ―カントの超越論的感性論における空間の問題― |
| 浜田 郷史(本学大学院博士後期課程) |
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暴力と理性 ―テキスト(textus)の解釈をめぐって― |
| 宮本 久雄(本学神学部教授) |
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悲しみから生まれる力 ―日本における無常とうき世の思想― |
| 島薗 進(東京大学教授) |
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現代哲学としてのグローカル公共哲学 |
| 山脇 直司(東京大学教授) |
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「自分は自分である」ことと「我性」への「想像/構想」 ―西谷啓治によるヤコブ・ベーメの思想への理解とその射程― |
| 板橋 勇仁(立正大学准教授) |
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過去と如何に向き合うか ―ニーチェの「生に対する歴史の利害」における歴史哲学― |
| 梅田 孝太(本学哲学科RA) |
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『私は考える』の複層的構造 ―統覚命題再考― |
| 辻 麻衣子(本学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC) |
| 渡部先生のこと |
| 大橋 容一郎(本学文学部長・哲学科教授) |
| 渡部清教授 業績目録 |
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哲学科での半世紀を回顧して |
| 渡部 清(本学哲学科名誉教授) |
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実践哲学の第三層 「哲学と神学の共同と一致」 ―カントの「規範的人間学」構想― |
| 御子柴 義之(早稲田大学教授) |
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形而上学としての人間学 ―カントにおける別のひとつの形而上学への道― |
| 福谷 茂(京都大学教授) |
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人間的生の一回性 ―超越論哲学と実用的見地のカント的交差― |
| 勝西 良典(本学哲学科嘱託講師) |
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中間領域の逸脱と分散 ―カントの人間学からハイデガーの脱人間学へ― |
| 村井則夫(明星大学准教授) |
|
純粋経験の「事実」とは何か ―西田幾多郎『善の研究』の出発点とその内実― |
| 白井雅人(東洋大学国際哲学センター研究助手) |
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魂が「似ている」とは何か? ―プラトン『パイドン』における「親近性」の議論の意義― |
| 三浦太一(本学大学院博士後期課程) |
| 多元化社会の中の宗教哲学―仏教から西田哲学へ― |
| 竹村 牧男(東洋大学教授) |
| 往相環相二種廻向と田辺元―宗教哲学としての田辺哲学の一側面― |
| 伊藤 益(筑波大学大学院教授) |
| なぜ宗教哲学か |
| 八木 誠一(東京工業大学名誉教授) |
| 『ニコマコス倫理学』における「心の壮大さ」の位置づけ |
| 佐良土 茂樹(本学大学院博士後期課程) |
| 新しい存在の生起を可能ならしめるもの―ホワイトヘッド哲学研究の一視点― |
| 吉田 幸司(本学大学院博士後期課程) |
| クラウス・リーゼンフーバー教授引退の日に思う |
| 渡部 清(本学哲学科教授) |
| K・リーゼンフーバー教授業績目録 |
|
中世における自己認識の展開 ―近代思想の歴史的源泉をめぐって― |
| K・リーゼンフーバー |
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超越 Superior Summo meo, Interior intimo meo 「哲学と神学の共同と一致」 ― Klaus Riesenhuber先生の業績を讃えて―感謝のうちに |
| 加藤 信朗(首都大学東京名誉教授) |
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現代におけるトマス・アクイナスの意義 ―「在るもの・ens」および知性の超越性をめぐって― |
| 宮本 久雄(本学神学部教授) |
| 現代に生きる中世 |
| 八巻 和彦(早稲田大学教授) |
| 三位一体論をめぐるバシレイオス-エウノミオス論争と固有名の問題 |
| 土橋 茂樹(中央大学教授) |
| アリストテレス『ニコマコス倫理学』における「外的な善」の意味 |
| 佐良土 茂樹(本学大学院博士後期課程) |
| 若きハイデガーにおける歴史の問題について |
| 赤塚 弘之(東北大学大学院博士後期課程) |
| 行為としての意識 |
| 河本 英夫(東洋大学文学部教授) |
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ドイツ観念論と狂気 ―精神医学的探究― |
| 内海 健(帝京大学医学部准教授) |
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病気による世界変容の意味 ―ヴァイツゼッカーによる医学的人間学の試み― |
| 丹木 博一(聖母大学看護学部准教授) |
| アルベルトゥス・マグヌスにおける数量認識について |
| 小林 剛(中央大学非常勤講師) |
| ニーチェ心理学における「霊魂」と「肉体」 |
| 梅田 孝太(本学博士後期過程) |
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ハイデッガーの解釈学的現象学 ―現存在の超越によせて― |
| 酒井 潔(学習院大学教授) |
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懐疑論と理性 ―フッサールとレヴィナスにおける現象学的思惟の動性― |
| 田口 茂(山形大学准教授) |
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フランス現象学の可能性と現れないものの現象学 ―現れないものの所与性とマリオンの現象学的絵画論― |
| 関根 小織(慶應義塾大学非常勤講師) |
| プロティノス神秘体験表白箇所の余波 |
| 堀江 聡(慶應義塾大学教授) |
|
予防原則の倫理学序説 ―欧州の実践と責任倫理を手がかりに― |
| 山本 剛史(慶應義塾大学非常勤講師) |
|
「共苦」の政治 ―「アウシュヴィッツ」後の人権の理念と現実― |
| 紺野 茂樹(東京大学大学院博士課程単位修得退学) |
| ヘーゲルにおける「神義論」の問題 |
| 入江 容子(一橋大学大学院博士後期課程) |
|
インマヌエルと三位一体の場所 ―西田哲学と滝沢神学― |
| 小野寺 功(清泉女子大学名誉教授) |
| 西田幾多郎と滝沢克己 |
| 前田 保(和光大学講師) |
|
西田哲学解釈の新たな展開可能性 ―《場所的美学=如来蔵思想母胎的キリスト教》の提起:聖霊の哲学的説明・如来蔵思想の伏在:つつみつつまれる関係性の追及― |
| 阿部 仲麻呂(日本カトリック神学会評議員) |
|
「インマヌエル」とは何か ―滝沢克己のイエス・キリスト理解をめぐって― |
| 石井 砂母亜(本学大学院博士後期課程) |
|
勇気という「知識」 ―プラトン『ラケス』篇における問題の所在― |
| 波多野 知子(本学大学院博士後期課程) |
| アウグスティヌス『告白』における涙の意味 |
| 田内 千里(本学中世思想研究所嘱託) |
| マイスター・エックハルトの時間理解と実践的人間像 |
| 阿部 善彦(本学大学院博士後期課程) |
|
フィリアとスタシス(友愛と内戦) ―シンポジウム「古代ギリシアはいかに活きるか?」への提題として― |
| 土橋 茂樹(中央大学教授) |
|
<ロゴスをもつ生き物〉の根源的意味(II) ―アーレント『人間の条件』第四節への補注― |
| 森 一郎(東京女子大学助教授) |
|
ソクラテスと青年たちのドラマ ―フーコーの「主体の解釈学」を手がかりにして― |
| 塩川 千夏(成蹊高等学校教諭) |
|
フィヒテ知識学における超越論哲学の理解 ―『一八〇四年第二回知識学』「プロレゴメナ」におけるカント理解― |
| 鈴木 伸国(本学大学院博士後期課程) |
|
アンスコムの実践的推論 ―推論図式に関する一考察― |
| 早川 正祐(東京大学大学院博士課程) |
|
清沢満之『純正哲学』における「現実」理解と関係論 ―ロッツェ『形而上学』の仏教哲学的解釈― |
| 角田 佑一(本学大学院博士前期課) |
| 様式の死とポストモダン |
| 西村 清和(東京大学教授) |
|
9・11の/以降の/による エステティクス ―Aesthetics after 9.11― |
| 田尻 真理子(東京純心女子大学助教授) |
|
「美的経験」とは何か ―アウグスティヌスにおける「美的経験」の両義的価値― |
| 樋笠 勝士(本学哲学科教授) |
|
新たな美的経験としての知覚へ ―ベンヤミンの「知覚論」としての美学― |
| 柿木 伸之(広島市立大学専任講師) |
|
プラトン『エウテュフロン』における行為と知識 ―敬虔の「パラディグマ」をめぐって― |
| 波多野 知子(本学大学院博士後期課程) |
|
自由を拓く行為主体の作成 ―カントにおける実践理性の問題の場所論― |
| 勝西 良典(本学哲学科助手) |
| グローバリゼーション、アイデンティティ、そして普遍的正義 |
| 八巻 和彦(早稲田大学教授) |
| アイデンティティ・ポリティックスと普遍的正義 |
| 舟場 保之(立命館大学講師) |
|
普遍性を可能にするものへの眼差し ―哲学的正義論と現象学的思惟の狭間で― |
| 長町 裕司(本学哲学科助教授) |
| 超越的判断とは何か―カントによる学校哲学批判の視点― |
| 藤本 忠(日本学術振興会特別研究員) |
|
個物とは何か? ―弁証法的一般者としての世界」から― |
| 白井 雅人(本学博士後期課程) |
| エーコの「テクスト解釈を制限する基準」について |
| 近藤 宙子(本学博士後期課程OG) |
|
知的愛と自己認識 ―スピノザの認識論における自己把握― |
| 中野 昭子(本学博士前期課程OG) |
| 「聞く」ということ |
| 坂東 性純(元大谷大学教授・報恩寺住職) |
| 「心」のゆくえ |
| 大橋 容一郎(本学哲学科教授) |
|
他者の心 ―実験心理学と心の哲学のあいだ― |
| 金沢 創(淑徳大学専任講師) |
| 魂の文法 独我論から非対称性の哲学へ |
| 崎川 修(東京純心女子大学非常勤講師) |
|
ベンヤミンの認識論 ―救出としての認識へ― |
| 柿木 伸之(広島市立大学専任講師) |
|
「物」と人間存在 ―ハイデッガーの芸術作品をめぐる思惟から― |
| 米持 和幸(京都大学大学院博士課程) |
| トマス・アクィナスの「第一の道」における運動について |
| 小林 剛(京都大学大学院博士課程O.D.) |