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2018.11.29

中澤ゼミ紹介(2018年夏のゼミ合宿編)

中澤ゼミ2018年夏のゼミ合宿
                                  中澤 克昭


 中澤ゼミでは、遺跡や博物館、伝統行事(神事・祭礼)の見学などもおこないます。
2018年8月28~30日には、福井県でゼミ合宿をしました。主な目的は、戦国城下町の遺跡として知られる福井市の一乗谷朝倉氏遺跡と、全国でも屈指の規模を誇る山岳宗教都市遺跡である白山平泉寺(勝山市)の見学です。合宿参加者を代表して、3年生2名に参加記を書いてもらいました。
 なお、今回の合宿では、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の宮永一美さんと藤田若菜さんに、たいへんお世話になりました。あらためて御礼申し上げます。


中澤ゼミ3年 長谷川 郁生

初日は、東京から鈍行で福井に向かう参加者もいて、夕食時に集合となりました。
2日目は、今回の合宿の一番の目的地でもあった一乗谷朝倉氏遺跡を訪れました。一乗谷は戦国時代、越前朝倉氏が本拠を構えた地であり、織田信長の侵攻によって焼失したのちはほとんど手をつけられていなかったため、当時の遺構がよく残っています。現在ではそうした遺構が発掘・整備されており、一つの広大な遺跡になっていますが、今回はそうした広い遺跡全体を、車と徒歩で見学しました。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館で、出土遺物をはじめとする展示資料の説明をうかがい、それから下城戸へと向かいましたが、まずそこで当時の遺構の迫力に圧倒されました。谷の南北に築かれた城門のうち、北側の入口にあたるのが下城戸です。高さ5メートル、長さ20メートルほどの石垣があり、その存在感、威圧感ともにすさまじく、ここが門として機能していた当時の空気を肌で感じることが出来たように思いました。
その後は遺跡内部を徒歩と車で移動しながら散策し、発掘された礎石や、再現された町並みなどの遺構に触れましたが、遺跡全体の広大さと相まって、史料でのみ触れてきた当時の一乗谷の様子、その繁栄ぶりを実感として理解することができ、特に義景館跡の裏手から遺跡全体を見渡したときは得も言われぬ感動を覚えました。実地に足を運ぶことで初めて感じられる情報の重要性を改めて実感できたことは、今回のゼミ旅行における有意義な点だったと思います。
心残りとしては、夕方にかけ疲労がたまり、また前日の雨の影響もあって、山頂付近にある山城まで足を運ぶことができなかったことが挙げられます。またいつかリベンジ出来たらと思います。

 【朝倉館の上から城下を望む】

中澤ゼミ3年 太田 大喜

ゼミ合宿最終日は、白山平泉寺に向かった。天気は曇りで、雷が聞こえる時間帯もあった。
行く前は、山岳寺院といわれてもよくイメージできず、そこへ行って、何を得ることが出来るのだろうか、という好奇心や疑問、不安など、様々な感情があった。結論から言うと、フィールドワークがなぜ重要であるのかがわかった一日であった。
平泉寺は養老元年に泰澄という僧によって開かれたとされている。平安時代後半には比叡山延暦寺の末寺となり、戦国時代には寺領9万石・9万貫、僧兵は8千にも及んだといわれている。天正2年(1574)には一向一揆により全山が焼失した。後に再興されたが、境内はもとの一割ほどに過ぎないらしい。明治初めには、神仏分離令により白山神社と改められた。
最初に、門前の白山平泉寺歴史探遊館を訪れた。そこには、白山平泉寺の概要や歴史、出土品が展示されており、ここを見学して、知識を得てから白山平泉寺を巡るという、理にかなった構造になっている。歴史探遊館からまっすぐ歩くと精進坂や御手洗池、拝殿があり、本殿にたどり着く。このまっすぐの参道には、大量の石が使用されている。石だらけである。本殿で雷がおさまるようにとお願いをし、発掘された中世の遺構に向かった。またもや石だらけである。これだけの石畳を整備するのに、どれほどの労力・時間・費用を使ったのだろうか。それ以前に、これほど大量の石を集めるのに、どれほどの労力・時間・費用が投じられたのだろうか。この寺院が、中世にどれほどの力を持っていたのかを理解するのには、「寺領9万石・9万貫」や「僧兵8千人」という言葉よりも、あの現場を実際に「見る」・「踏む」・「歩く」方が明解である。「百聞は一見にしかず」という文言の意味が、少しだけ理解できたような気がした。ぜひ、多くの人に行ってもらいたい。


 【白山平泉寺の発掘された石畳】