『哲学科紀要』 第47号(2021年3月6日刊行)
目次
| アドルノ『ベートーヴェン 音楽の哲学』が照射するもの |
| ――楽聖ベートーヴェン生誕ニ五〇年を記念しての芸術哲学的省察――(前編) |
| 長町裕司(本学哲学科教授) |
| バウムガルテンの感性的認識(cognitio sensitiva) |
| ――「上位認識能力/下位認識能力」およびヴォルフからの系譜に即して |
| 桑原俊介(本学哲学科助教) |
| Human Rights and Personal Dignity |
| 寺田俊郎(本学哲学科教授) |
『哲学科紀要』 第46号(2020年3月6日刊行)
目次
| 物理量概念の哲学的分析 |
| 杉尾一(本学哲学科助教) |
| エミル・ラスク著 |
| 『哲学の論理学とカテゴリー論 |
| ――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』 |
| 解説と翻訳(五)(第二部第一章第二・三節) |
| 大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説 |
| ラスク研究会 監訳 |
| ダマスコスのヨアンネス『正統信仰論』第八九章(IV 16) |
| 「聖画像について」 |
| 荻野弘之 (本学哲学科教授)翻訳・註解 |
『哲学科紀要』 第45号(2019年3月6日刊行)
目次
| 物理学における言語と実在の問題 |
| 杉尾一(本学哲学科助教) |
| ヘルムート・プレスナー著 |
| 『有機的なものの諸段階と人間』の問題状況(第一章部分 訳) |
| 鈴木伸国(本学哲学科准教授)訳 |
『哲学科紀要』 第44号(2018年3月6日刊行)
目次
| 「幸福とは何か?」という問いを考えるために |
| 荻野弘之(本学哲学科教授) |
| 西洋形而上学〈と〉神 本篇 第一部: |
| 《神の死》の根本経験とその解釈を巡っての思惟の動向― |
| (二)ニーチェ〈と〉ハイデガーのニーチェ解釈の狭間での |
| ニヒリズムの思索的問題圏域へ向けて |
|
長町裕司(本学哲学科教授)
リポジトリ |
『哲学科紀要』 第43号(2017年3月6日刊行)
目次
| レトリックについて――その歴史と構造―― |
| 荻野弘之(本学哲学科教授) |
| 反省的判断力としての道徳的判断力 |
| 寺田俊郎(本学哲学科教授) |
| エミル・ラスク著 |
| 『哲学の論理学とカテゴリー論 |
| ――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』 |
| 解説と翻訳(四)(第二部第一章第一節) |
| 大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳 |
『哲学科紀要』 第42号(2016年3月5日刊行)
目次
| 対話と思考――誰を相手に、何を語るのか? |
| 荻野弘之(本学哲学科教授) |
| 哲学における精神修養とその方法 |
| ――ピエール・アドとパウル・ラボウの場合―― |
| 鈴木伸国(本学哲学科准教授) |
| エミル・ラスク著 |
| 『哲学の論理学とカテゴリー論 |
| ――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』 |
| 解説と翻訳(三)(第一部第四~六節) |
| 大橋容一郎(本学哲学科教授)監訳・解説、ラスク研究会 訳 |
『哲学科紀要』 第41号(2015年3月5日刊行)
目次
| 西洋形而上学<と>神 本篇 第一部: |
| <神の死>の根本経験とその解釈を巡る思惟の根本動向 |
| (一)ニーチェの下での思索的発端。付論として、 |
| ドストエフスキー『白痴』における、 |
| ハンス・ホルバインの<墓の中の死せるキリスト>についての断章 |
| 長町裕司(本学哲学科教授) |
| 〈グローバル化した世界の実践哲学〉 |
| マティアス・ルッツ=バッハマン(ゲーテ大学・フランクフルト=アム=マイン) |
| 「自由―人間の自律の概念とその現実性」 |
| アンドレアス・ニーダーベルガー(デュースブルク=エッセン大学) |
| 「共和主義と国民国家を超えた民主制」 |
| 寺田俊郎(本学哲学科教授)監訳・解題 |
| 中村信隆(本学哲学研究科博士後期課程)訳 |
『哲学科紀要』 第40号(2014年3月5日刊行)
目次
| 祝辞「哲学科100周年によせて」 |
| 大谷啓治、クラウス・リーゼンフーバー、渡部清、西村清和 |
| 形なきものの形、聲なきものの聲 |
| ――キリスト教と西田の「無の哲学」―― |
| 田中裕(本学哲学科教授) |
| エミル・ラスク著 |
| 『哲学の論理学とカテゴリー論 |
| ――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』 |
| 解説と翻訳(二) |
| 大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳 |
『哲学科紀要』 第39号(2013年3月10日刊行)
目次
| 「賢慮」(フロネーシス)について |
| ――アリストテレスにおける知識と行為の一側面―― |
| 荻野弘之(本学哲学科教授) |
| 形なきものの形、聲なきものの聲 |
| ――キリスト教と西田の「無の哲学」―― |
| 田中裕(本学哲学科教授) |
| エミル・ラスク著 |
| 『哲学の論理学とカテゴリー論 |
| ――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』 |
| 解説と翻訳(緒論) |
| 大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳 |
『哲学科紀要』 第38号(2012年3月10日刊行)
目次
| 《西洋形而上学と神》再考究へ向けての新たな序論 |
| ――或いは、〈ドストエフスキー文学(『悪霊』)と神の問題〉序章―― |
| 長町 裕司(本学哲学科教授) |
| 【研究ノート】 |
| 現代におけるペルソナ論の可能性 |
| ――カロル・ヴォイティワの現代性と、カントとその日本受容とを比較して―― |
| 勝西 良典 |
『哲学科紀要』 第37号(2011年3月10日刊行)
目次
| カントの道徳教育論の現代的意義 |
| 寺田 俊郎(本学哲学科教授) |
|
Scriptura habet structuram ケアにおける他者感受的な行為者性 |
| 早川 正祐(本学PD研究員) |
| 東西両哲学思想の総合としての「日本哲学」 |
| ――「西田哲学」の独自性を検証する試み―― |
| 渡部 清(本学名誉教授) |
『哲学科紀要』 第36号(2010年3月10日刊行)
目次
| アウグスティヌス『キリスト教の教え』第二巻における偶像崇拝について |
| 田内 千里 助手 |
|
Scriptura habet structuram ―サン・ヴィクトール学派の解釈学― |
| 中村 秀樹 専任講師 |
| 【創作ノート】 |
|
本質現成するものにおける内立性(Inständlishkeit)からの知 ―グローバリゼーションの趨勢に直面してのハイデガー― |
| 長町 裕司 教授 |
|
Memoria extasis ―サン・ヴィクトールのリカルドゥスにおける忘我的観想と記憶― |
| 中村 秀樹 専任講師 |
|
「存在-形而上学」に対立する<存在の思惟>? ―トマス・アクィナスとマルティン・ハイデガーとの、未だ貫徹されざる歴史的対‐決(eine geschichtliche Aus-einander-setzung)へ向けて― |
| 長町 裕司 准教授 |
|
「西田哲学」中・後期思想の仏教的要素 ―仏教哲学としての「西田哲学」(承前)― |
| 渡部 清 教授 |
|
プロティノスにおけるpankakiaの思想 ―「舞台としての世界」概念の原風景― |
| 樋笠 勝士 教授 |
|
オスティアのヴィジョンをめぐる一考察 ―アウグスティヌス『告白』第九巻― |
| 田内 千里 助手 |
|
神の自己展開としての宇宙 ―『知ある無知』における一考察― |
| 佐藤 直子 准教授 |
|
西村茂樹における学術と世界認識の関係 ―その一見儒教的形而上学提示の意味について― |
| 渡部 清 教授 |
| ジャン・ビュリダンの哲学における言語理論 |
| K・リーゼンフーバー 教授 |
|
<自律と統合>という問題構成へ向けて宗教哲学の胎動 ―『ドイツ観念論最古の体系プログラム』をめぐってのヘーゲルの宗教的思惟― |
| 長町 裕司 助教授 |
| 【研究ノート】 |
|
明治20年の哲学会(界) ―洋学としての「哲学」受容の経緯再考― |
| 渡部 清 教授 |
|
この世に「在り」て原郷の内に「住まう」 ―ハイデガーの思惟の道の《歩み返し》と『さすらい人が月に寄せて(Der Wanderer an den Mond)』― |
| 長町 裕司 助教授 |
|
他者との共同を原理的に開く倫理の可能性 ―カントの自立の思想に即した試論― |
| 勝西 良典 助手 |
|
仏教哲学としての西田哲学 ―『善の研究』を基礎として― |
| 渡部 清 教授 |
| 詩的言語とロゴス性 |
| 樋笠 勝士 教授 |
|
クザーヌスとヴェンクの「知」と「言葉」 ―両者の論争をめぐって― |
| 佐藤 直子 助教授 |
|
日本近代における一元論の系譜 ―西田哲学の成立前史として― |
| 渡部 清 教授 |