私とベルギー
(豊田先生が)半分ぐらい話してくれちゃったかな。どうでもいいような気がしないでもないんですけれど。僕は別に研究報告をするわけでもないし、老人の昔話なんて聞いたってしょうがないという方もおられるでしょう。僕だって聞きたかないんですよ。でも、今ちょっと豊田先生が話してくれたように、昔はね、11月の史学大会の時には卒業生がわんさか来たんですよ。だから大会が終わってから後の懇親会はまるで同窓会みたいに賑やかだった。それがもう今はないなという、それがちょっと僕の懸念でもあるんです。
しかし、だからといって、それじゃあ昔話だけしていいのかというと、題名があるんでね、私の話に。「私とベルギー」ね。それじゃあ、やっぱり、そこから入らなきゃならないね。
どこから始めようか。ベルギー。ベルギーなんて、本当に知らなかったですよ。皆さんがどれくらい知っているか分からないけれど、南半分がフランス語で、北半分がネーデルランド、ま、オランダ語という、フラマン語なわけで、そんなことももちろん知らなかった。なのに、何でベルギーへ行ったのかという。もとよりそれは自分の意志じゃないのですね。
その当時の上智大学はすごく学生も少ないし[1953年度史学科卒業生3名]、先生も少ないが、それでも、まあ先生は学生の割には多かったと思う。たとえば私は史学科なんだけれど、史学科以外の先生と随分付き合った。理工学部の先生。理工学部はずいぶん後になったできたんだけれど。
僕は少しフランス語ができた。フランス語の話をしたら長くなるから止めますが、ただ何でフランス語なんかやったのかというと、これまた自分の意志では全くないわけです。では、なぜやったのか、これはまたちょっと別な話になった、少し長くなります。
